クラブの歴史
創立の経過
戦前、機熟せず設立に到らなかった堺ロータリークラブも、昭和25年末より大阪ロータリークラブの熱心な後援と指導を得て、設立準備を進め、昭和26年2月16日国際ロータリーの承認を受けて、大阪府下第二番目に結成されたクラブとして発足した。この間の経過とチャーターナイト(認証状伝達式典)の模様を、昭和31年に編纂された「堺ロータリークラブ史」から以下に引用する。
昭和25年12月になって、大阪ロータリークラブ会員星野行則、西宗茂二、露口四郎3氏の熱心なおすすめと御指導によって、伊藤道次、吉田久博、辻本英一、久野晴雄、浅香亮、大塚正の諸氏が設立準備の下相談を始め、同月21日には堺ロータリークラブ設立準備委員会が、更に昭和26年1月30日には創立総会が開かれまして、まず仮クラブが発足し、ついで2月16日、国際ロータリーから正式の承認を受けて、わが堺ロークリークラブはいよいよ国際ロータリーの一員としてデビューしました。
チャーターメンバー
創立当初の会員とその職業分類は次の通りであった。
会員氏名 | 職業分類 | ||
喜多 源逸 | 会長 | 大学総長 | 浪速大学学長 |
吉田 久博 | 副会長 | 真鍮製品製造 | 日本伸銅(株)社長 |
大塚 正 | 幹事 | 新聞業 | (株)南大阪新聞社長 |
伊原 茂 | 会計 | 別珍コール天製造 | 恵美壽織物(株)専務 |
浅香 亮 | SAA | スコップ製造 | 浅香工業(株)専務 |
伊藤 道次 | 理事 | 亜鉛華製造 | 堺化学工業(株)社長 |
久野 晴雄 | 理事 | 銅製品製造 | 三宝伸銅工業(株)社長 |
島野 庄三郎 | 理事 | 自転車製造 | 島野工業(株)社長 |
辻本 英一 | 理事 | 足袋製造 | 福助足袋(株)社長 |
播野 林太郎 | 醸酢業 | 大阪造酢(株)専務 | |
堀畑 屽一 | 港湾輸送 | 阪南開運(株)社長 | |
磯野 巌 | 耳鼻咽喉科医 | 磯野医院院長 | |
居谷 清一 | 弁護士 | 居谷清一法律事務所 | |
伊藤 並四郎 | セルロイド製造 | 大日本セルロイド(株)常務 | |
村上 増雄 | 化学研究 | 阪大産業科学研究所長 | |
中江 新十郎 | 綿布晒 | 市新晒工業(株)会長 | |
鉛 市太郎 | 化学工業顧問 | ||
丹羽 亮 | 外科医 | 井上病院院長 | |
島田 義和 | 製粉業 | 島田製粉(株)会長 | |
高田 勝治 | アルミ製品製造 | (株)高田アルミニューム製作所社長 | |
高木 幸太郎 | ギヤ製造 | (株)高木鉄工所社長 | |
鳥井 伊太郎 | 酒醸造業 | 堺酒造(株)社長 | |
山田 竜五郎 | 配電事業 | 関西配電(株)堺配電局局長 | |
山口 勝 | 映画経営 | 興亜厚生(株)社長 | |
柳原 貞次郎 | 牧師 | 堺聖テモテ教会管理 | |
柳原 吉次郎 | 染色業 | (株)大和川染工所社長 |
正式承認
昭和26年2月16日国際ロータリーより、登録第7,706号のクラブとして承認を受けた。尚日本のRCとしての創立順位は第53番福島RC(昭和26.1.1)についで第54番目、大阪府下では大阪RC(大正11.11.7)の次で第2番目である。
バナー制定
堺は建市千年の由緒を持つ古い経済都市でつとに東洋のベニスとうたわれて、 遠くは海外にその声明をほしいままにした国際貿易港で有ります。当時、自由進取の気分に溢れた南蛮船が西欧の文物をこの港に招来した盛観は 国宝南蛮屏風にえがかれて日本近世文明の淵叢として殷賑一世を極めた絢爛 陸離たる風尚を今に伝えております。爾来400年、永遠の回帰の理あざむかず新しい堺は今や順風万帆国際的市場に 船出の曙に立っております。すなわちわが堺ロータリークラブはここに縁起してバナーを制定し我らの前途を 祝福する所以であります。
昭和31年1月 記
子クラブ創立
下記の各クラブは堺ロータリークラブがスポンサーとなって設立されたクラブである。
クラブ | 設立総会 | 特別代表 |
泉大津RC | 昭和31年5月4日 | 辻本 英一 |
堺南RC | 昭和36年3月4日 | 百武 定一 |
富田林RC | 昭和37年6月6日 | 高田 勝治 |
松原RC | 昭和39年8月25日 | 小島 公平 |
堺東南RC | 昭和45年5月14日 | 磯野 巌 |
堺東RC | 昭和47年4月25日 | 阪之上 健一 |
堺北RC | 昭和55年10月3日 | 播野 林太郎 |
堺フェニックスRC | 平成9年3月27日 | 阪之上 清以弥 |
他に孫クラブが16クラブ、曾孫クラブが7クラブあります。詳しくはこちら >>(PDF)堺RCからの派生クラブ