堺ロータリークラブの誕生
戦前の動き 
 日本のロータリーは大正9年、先覚者米山梅吉先生を会長とする東京RCの設立に始まり、大正11年大阪RC、同13年神戸および名古屋RC、同14年京都RCの設立等着実な発展を続けて、大正15年には当時の植民地を含む全国に48クラブ、2千名余の会員を有するまでに発展した。此の間、大阪市に次ぐ府下の大都市堺にロータリークラブを設立しようと言う動きもあったが第二次大戦による時局の重圧の下、日本のロータリーは国際ロータリーから脱退の余儀なきに至り、この動きは実を結ばずに終った。当時の堺市長河盛安之介氏は堺RCl10周年記念誌上に此の間の事情を次の如く述べている。
  “堺にロータリークラブを設置してはと勧誘されたのは戦前のことで、当時大阪ロータリークラブの会長であった故村田省蔵氏が、たびたび来堺されて、市長室で私に熱心に口説かれたのであった。当時堺には木曜会というロータリークラブに似通った会があったので、会員鉛市太郎工博や加藤保一氏等に諮ったが、当分は見送ろうということになって一時沙汰止みとなった。その後大東亜戦争が勃発してロータリークラブは自然解消の運命に遭い漸く台頭せんとしたロータリー運動も雲散霧消の厄にぶつかった。”
(c)2011 SAKAI Rotary Club. All Rights Reserved.